提督のお墓
7月31日、マルタ国際空港を定刻に出発したエアマルタ100便は、タイムテーブル上の定刻である、0945時に、ロンドンヒースロー空港、ターミナル4にて、ドアオープン。

ターミナル3のバゲッジ・レフトで、機内持ち込みのキャリーバッグを預け、キャリーバッグより切り離したデーパックを背負い。ヒースローエクスプレスにて、ロンドン市内のパディントン駅へ。

パディントン駅からは、地下鉄ベーカールー線とジュビリー線を乗り継いで、ウェストミンスターにいたる。ウェストミンスターといえば国会議事堂だが、今回の目的はこちらではない。

テムズ川を渡ってから、右手の対岸に国会議事堂を見ながら上流方向に向かう、早足で10分程いったところにある庭園歴史博物館(Museum of Garden History)に。
ここの庭にある、ウィリアム・ブライ提督(Vice Admiral William Bligh)のお墓を詣でる。読者のほとんどが「誰ぞそれ」と思われるやも知れぬ。「バウンティ号の叛乱」事件で、叛乱を起こされた側の艦長である。プランテーションで働く奴隷の食料とするため、パンノキの苗を、タヒチからカリブ海に運ぶ途上で叛乱を起こされたわけだが、その叛乱から10年ほど後、タヒチから西インド諸島への、パンノキの苗の輸送に成功。ジャマイカでは、今日でも、パンノキは食べられている。その功績から、墓碑には、パンノキのモチーフがあしらわれている。

後の、「バウンティ号もの」の小説や映画などの影響で、冷酷非道な悪者としてのイメージが一般的となってしまったブライ提督ではあるが、実際は、部下の間違いや欠点を見つけては、きびしく叱責するという、よろこばれない癖はあったものの、他の指揮官が鞭打ちの刑を課すような場合は叱責でのぞみ、他の指揮官が絞首刑で処断するよう場合は、鞭打ちを課すというふうに、水兵たちにとって苛烈にきびしい指揮官ではなかった。
「キャプテン・クックの教え子たち」の中でもとくに優秀な一人であり、航海術、戦術にも秀でていた。
自分の指揮する艦からは病人を出さないようにするため、食事の質に気を遣い、艦を清潔にするように心がけ、特に乗組員には日課として運動を課した、これは当時としては画期的なことであった。病気による損失が、戦闘による損失に負けず大きな脅威であるということを認識していたとは、やはり有能な指揮官であったのだろう。ブライの指揮下の艦では、戦闘による損失、病気による損失ともに、他の艦よりも極めて少なかったらしい。
王立協会会員であったため、科学者や文化人との親交もあり、詩人のワーズワースなどは、なにかと、ブライ提督の弁護を買って出たりしたそうな。
ブライ提督の墓を詣でたのは、ほとんど悪者としてしか知られなくなった現在でも、提督の高い資質を知り、評価しているボクのような人間がいることを、じかに提督に語りかけたかったからである。
提督の墓を撮影していると、白人のヲッサンが怪訝なカオをしてこっちを見ているので「これは、バウンティ号のブライ提督の墓だ」というと、「ああ、知ってるさ。バンクーバーは彼が発見したようなもんだ」と。どうやら、カナダからの観光客らしい。このあと、バンクーバーの発見について、いかにブライ提督の功績があったかという講釈をぶたれたが、フンフンと生返事して聴いていた。でも、このヲッサンも、提督のことを、ボク同様に評価しとるんやろなあ。

ターミナル3のバゲッジ・レフトで、機内持ち込みのキャリーバッグを預け、キャリーバッグより切り離したデーパックを背負い。ヒースローエクスプレスにて、ロンドン市内のパディントン駅へ。

パディントン駅からは、地下鉄ベーカールー線とジュビリー線を乗り継いで、ウェストミンスターにいたる。ウェストミンスターといえば国会議事堂だが、今回の目的はこちらではない。

テムズ川を渡ってから、右手の対岸に国会議事堂を見ながら上流方向に向かう、早足で10分程いったところにある庭園歴史博物館(Museum of Garden History)に。
ここの庭にある、ウィリアム・ブライ提督(Vice Admiral William Bligh)のお墓を詣でる。読者のほとんどが「誰ぞそれ」と思われるやも知れぬ。「バウンティ号の叛乱」事件で、叛乱を起こされた側の艦長である。プランテーションで働く奴隷の食料とするため、パンノキの苗を、タヒチからカリブ海に運ぶ途上で叛乱を起こされたわけだが、その叛乱から10年ほど後、タヒチから西インド諸島への、パンノキの苗の輸送に成功。ジャマイカでは、今日でも、パンノキは食べられている。その功績から、墓碑には、パンノキのモチーフがあしらわれている。

後の、「バウンティ号もの」の小説や映画などの影響で、冷酷非道な悪者としてのイメージが一般的となってしまったブライ提督ではあるが、実際は、部下の間違いや欠点を見つけては、きびしく叱責するという、よろこばれない癖はあったものの、他の指揮官が鞭打ちの刑を課すような場合は叱責でのぞみ、他の指揮官が絞首刑で処断するよう場合は、鞭打ちを課すというふうに、水兵たちにとって苛烈にきびしい指揮官ではなかった。
「キャプテン・クックの教え子たち」の中でもとくに優秀な一人であり、航海術、戦術にも秀でていた。
自分の指揮する艦からは病人を出さないようにするため、食事の質に気を遣い、艦を清潔にするように心がけ、特に乗組員には日課として運動を課した、これは当時としては画期的なことであった。病気による損失が、戦闘による損失に負けず大きな脅威であるということを認識していたとは、やはり有能な指揮官であったのだろう。ブライの指揮下の艦では、戦闘による損失、病気による損失ともに、他の艦よりも極めて少なかったらしい。
王立協会会員であったため、科学者や文化人との親交もあり、詩人のワーズワースなどは、なにかと、ブライ提督の弁護を買って出たりしたそうな。
ブライ提督の墓を詣でたのは、ほとんど悪者としてしか知られなくなった現在でも、提督の高い資質を知り、評価しているボクのような人間がいることを、じかに提督に語りかけたかったからである。
提督の墓を撮影していると、白人のヲッサンが怪訝なカオをしてこっちを見ているので「これは、バウンティ号のブライ提督の墓だ」というと、「ああ、知ってるさ。バンクーバーは彼が発見したようなもんだ」と。どうやら、カナダからの観光客らしい。このあと、バンクーバーの発見について、いかにブライ提督の功績があったかという講釈をぶたれたが、フンフンと生返事して聴いていた。でも、このヲッサンも、提督のことを、ボク同様に評価しとるんやろなあ。
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